2010年5月27日木曜日

テネシー州メンフィス


テネシー州メンフィス

1954年、エルヴィス・プレスリーはサム・フィリップスと出会います。場所はテネシー州メンフィスの市街にあるサンレコードのスタジオです。

アメリカ南部に位置するテネシー州は、「風と共に去りぬ」の舞台になった州で、メンフィスは総人口50万人中20万人(1960年)の都市です。南部の農村には黒人が多く住んでいました。その黒人たちがテネシーの都会メンフィスというに集まってきたことが人口が増えた主たる原因です。

南北戦争は「風と共に去りぬ」の背景になったアメリカ国内を2分した歴史的な戦争です。1861年~1865 年の5年間に及びました。奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退したことに起因します。合衆国にとどまった北部23州はアメリカ連合国を結成し対抗します。

南部は農業中心のプランテーション経済が盛んでした。プランテーション経済とは、黒人奴隷、先住民など安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のことです。南部の特に綿花をヨーロッパに輸出もあり繁栄していましたが、それを支えたのが黒人奴隷の労働力でした。

一方北部は急速な工業化が進んでいて、新たな労働力を必要としていました。工業化が進んだ原因は1812年~1814 年に起こった米英戦争です。英国工業製品が輸入できなくなったことで、急速な工業化が起こったのです。また欧州製の工業製品よりも比較優位を保つために保護貿易が求められていました。奴隷制に対する態度と貿易に対する態度の両方で真逆の立場だったのです。事態は日を追いエスカレートしていきますが、それ以前からあった北部の自由州と南部の奴隷州の対立も同時に激化する火種になったのです。

さらに、財政難で苦しむフランス(ナポレオン1世)から購入したルイジアナと、メキシコから「独立」したテキサス共和国とカリフォルニア共和国をアメリカ合衆国に加えるにあたり、その所属をどうするかを人民主権のルールにより投票で決めることになりました。これによってそれまで上院で保たれていた自由州(北部)と奴隷州(南部)の均衡が崩れ出したのです。>南部にすれば、自由州側の方が上院議員数が多くなることを危惧しました。これが事態をさらに深刻化させ対立を深めます。

余談ですが、米英戦争のことは「パトリオット」、テキサス共和国のことは「アラモ」、カリフォルニア共和国のことは「ゾロ」で、それぞれ語られています。

1860年11月の大統領選挙では奴隷制が争点のひとつになりました。奴隷制の拡大に反対していた共和党のエイブラハム・リンカーンが当選。南部では不安が広がった。

同年12月には、ますサウスカロライナ州が連邦からの脱退します。さらに翌年1861年2月までにミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州も連邦から脱退します。2月 4日にはこの7州が参加したアメリカ連合国を結成します。アメリカ連合国は、南部連合、南部連盟、南部同盟、アメリカ南部連邦とも呼ばれますが、「ディキシー」と呼ばれていることで馴染み深いでしょう。これによって同年11月に選挙が行われジェファーソン・デイヴィスが当選。アメリカ連合国の暫定大統領に指名されます。

この時点では、奴隷は個人の私有財産とする決まりがあったので、リンカーン自身は奴隷制廃止を宣言していませんでしたが、アメリカ連合国の暫定大統領が決まったことで、南北の亀裂は決定的になります。

De de de de de,de de de de de・・・<ザッツ・オールライト>にしろ、<ブルームーン・オブ・ケンタッキー>にしろ・・・・エルヴィス・プレスリーの心と身体には・・・・エルヴィス・プレスリーが生涯愛したテネシー州メンフィス・・・・エルヴィスの身体には南部の汗と涙と血で綴られた歴史が息づいていたのです。


(テネシー州メンフィス ビールストリート)